20 YEARS OF HUF HARDCOVER BOOK INTERVIEWS #1


#1
ANNE FREEMAN
Co-founder of HUF


真のスケートボーダーは想像力や物事を実現するための推進力を欠かすことがない。キース・ハフナゲルはその精神を体現していたが、ブランド名に自身のニックネームを起用するのには当時のパートナーからの後押しが必要であった。キースの”Fuck It”の精神と実行力を受け継いだアン・フリーマンは、HUFに多大な貢献をしている。東海岸で生まれ育ったキースと、西海岸で生まれ育ったアンは、好奇心、エネルギー、追求心を共有し、アンの起業家としての知識とともに、HUFを世界的なブランドへと育て上げ、今尚成長し続けている。

キースとの出会いについて聞かせてください。

キースはNYマンハッタンの23rd & 1stで育ちました。私はヨセミテ国立公園の近くの街で育ちました。人口は600人ほどで信号もなく、当時の電話番号は4桁でした。私たちは正反対の世界に住んでいました。私は90年代前半にサンディエゴの大学に進学し、ちょうどスケートボードブームに重なったんです。そしてサンディエゴヘ引越してまだ間もない頃、当時Droorsを立ち上げたばかりのデーモン・ウェイとケン・ブロックと出会いました。彼らは当時EightballというTシャツブランドをやっていて、私は遊歩道でローラースケートを履いて彼らのフライヤーを配布していました。当時、私はパシフィックドライブスケートショップに頻繁に通っていて、それがきっかけで、シルクスクリーン工場で秘書の仕事をしていました。そこにはプロサーファーやプロスケーターが集まっていて、自分達のアパレルブランドを立ち上げていました。「これが企業だ、かっこいいな」と思いました。彼らはみんな本当に楽しそうだなと感じました。

当時サル・バービアがルームメイトで、私は大学に通い良い暮らしをするために一生懸命働いていたのに、彼はいつもサーフィンやスケートに明け暮れていて、昼間は寝てばかりで夜遊びばかりしていました。当時、Etniesで彼の”SAL 23”という靴が発売されたばかりで、家のカウンターに$17,000の小切手が無造作に置かれていたのを覚えています。私はそれまでそんな大金を見たことがなく、19歳の私にはまるでルームメイトが17億ドル稼いだような感覚でした。そしてデーモンとケンがDroorsをスタートさせました。その頃彼らと仲が良かったのですが、彼らの成長の軌跡は正気の沙汰とは思えませんでした。そしてスケートボードが単なるスポーツではなく、ビジネスとして成立していることを私は理解するようになりました。そして私自身スケートボードはしないけど、一日中見ていても飽きないくらいスケートボードが好きな自分にもフィットできる場所があるのではないかと思うようになりました。当時はスケートボードに乗る女の子を見たことがなかったので、まさかスケートボードが自分の居場所になるとは思いもしませんでした。でも、ビジネスチャンスがあると感じ、この業界で仕事をしてみようと思いました。その頃、サンディエゴには飽きてきてニューヨークに引越したいと思うようになりました。人生で一度はニューヨークに住んでみたいと思っていたので、まだ仕事も決まっていなかったのですが、とりあえず荷物をまとめて引越すことにしました。キースとはスケートボードを通じて知り合った当時はただの友達でした。私はキースに電話をして、「ニューヨークに引越すから遊びましょう」と言いました。ただ単に知っている人誰でもいいから連絡を取っただけでした。するとキースから「オッケー、遊ぼうよ。でも毎日は無理だよ」と言われました(笑)。

面白いですよね。

キースは言葉の最後によくDude!と言っていました。当時は恋愛感情はなかったので、あまり深くは考えていませんでした。NYに着いた初日は、私の人生の中で最高な日の一つでした。深夜便の飛行機に乗り、NYに着いて直ぐクイーンズにあるジョーンズ&クリス・キーフの家までタクシーで向かいました。当時、彼らは両親とまだ一緒に住んでいたのですが、真っ赤な目をして疲れ切っていた私に向かって、「起きろ、Frizz!(縮れ毛)」– 私のことを縮れ毛と呼んだの。そして「昼寝なんかしてる場合じゃない、これから街へ繰り出すんだ!」と。そしてそのまま7番の電車に乗りキースと合流しました。その日はちょうどヤンキースが優勝パレードをしていて、街中にお祝いのテープが舞っていました。

大変な日に着きましたね。

地下鉄から出ると、マンハッタンには100万人以上の人だかりができていました。大袈裟じゃなくてね。街にはテープが舞い散り、ヤンキースの選手たちがパレードをして、街中みんながヤンキースのユニフォームを着ていました。キースは周りを見渡すために何かわからないけど高い台のようなものに登っていて、私たちが見上げるとキースは笑っていました。その後、私たちはマンハッタンのダウンタウンを一日中走り回り、Supremeへ行きました。当時のSupremeはできてからまだ一年目くらいで、今のような大きなブランドではなく、みんながお店に集まりカバンを投げ捨ててトイレを借りに駆け込むような感じでした。当然、私たちもお店にカバンを投げ込んでトイレを借りて、その後プリンスストリートにあるレイズビザでピザを食べたのですが、ピザがこんなに美味しいとは信じられませんでした。それまでミッションビーチピザでランチソースにディップしたピザばかり食べていた私は、NYのピザの美味しさにびっくりしました。私は「着いた。ニューヨークにいるんだ。これだ。もう二度と離れないぞ!」と思いました。そして、その日が終わる頃には、私たちの間にそれまではなかったビビッときたものを感じていました。実はその頃、キースに私の女友達とのデートをセッティングをしていて、「あなたが賢いのであればこの人がいいわよ。彼はとっても優しくて、最高よ」と友達に言っていました。もし私が賢かったらそうするかもしれないなんて思ってもいなかったわ(笑)。あの日は特別な日でした。

その後キースとはどうなったのですか?

キースの思惑とは違いましたが、私とキースは毎日24時間一緒にいることになり、とても楽しい時間を過ごしました(笑)。その頃、キースはよく旅に出ていて、私は飛行機に乗りキースに会いに行っていました。若い頃は、ほとんどの人がろくにお金も持っておらず、私もその1人でした。でも会社がキース達に色々な国の滞在先を用意してくれて、キースは私にいきなり電話をしてきて「今シドニーにいるんだけど、一部屋空いてるからおいでよ」と誘ってくれたおかげで、私も世界中を見ることができたんです。スケートボードがこんなに特別なもので、そしてクリエイティブ、エネルギッシュ、エキサイティングに成功している会社があるというグローバルな目線で見ることができました。当時キースは、彼が30歳になった時のことを心配していました。当時のスケーターは、今のスケーター達ほど長くキャリアを続けられていなかったので、全てのスケーターが同じことを心配していました。そのため、私達はよく話し合い、何か新しいチャンスを見つけようとしていました。最初はとても漠然としていましたが、私たちは一つだけお金で買えないものを持っていました。それは、キースが現れた時の周りの人々の反応でした。誰もが彼に注目するのです。キースはそれに気づいていましたが、謙虚に受け止め、決して利用する事はありませんでした。キースは自分の注意を引こうとする人には握手をして、彼らの言うことに耳を傾けました。それは人として素晴らしい資質であるだけではなく、今では私のビジネスに対する考えも変わり、これがブランドのフロントマンとしてあるべき姿だと考えていました。旅先ではスケートショップだけではなくあらゆる店舗を訪れて、人々が何をしているのか、それがどのように機能しているのかを見て回りました。これが全ての始まりでした。何かやりたいとは思っていましたが、それが何なのかは当時まだわかっていませんでした。

実現されなかったアイデアとかはありますか?

スケートデッキの会社も考えましたが、それにはたくさんの資金が必要で難しそうなので断念をしました。ロサンゼルスで女性向けの高級ブティックのマネージャーを務めた経験もあり、爆発的な売れ行きもあったのでそれも考えました。洋服屋をやりたい気持ちもあったので、しばらくの間は構想を練りました。その後、私たちがニューヨークを離れてロサンゼルスへ引っ越した頃、キーナン(ミルトン)が他界をして、私たちの世界は一転してしまいました。当時私たちは結婚したばかりで、若くてワイルドで旅をして楽しい日々を送っていました。私たちは2001年3月24日に結婚したのですが、結婚式の最高の思い出はキーナンがキースを抱き上げて、ダンスフロアで一緒に楽しく踊っていました。そしてそれが彼の最後の無邪気な姿になってしまいました。キーナンは7月4日に他界しその2ヶ月後には911が起きてしまいました。キースも私も人生がそんなふうに変わってしまうとは思いもしていませんでした。あんなに楽しい時間を過ごしていたのに、突然奈落の底に突き落とされました。今振り返ると不思議な感覚です。今年で50歳になりますが、人生は時に様々な試練を経験しなければいけないのですが、初めて辛い試練を経験する時には、立ち直る手段を知りませんでした。そのため私たちは辛いことがあった時に当時の私たちができる唯一の行動を取ったのです。私は、「引越そう、ここから出よう」と言い、「サンフランシスコに行こう」となりました。なぜそう思ったかはわかりませんが、私の兄がサンフランシスコに住んでいたので、お金を貯めるために彼の家に引越しました。

キースを長年スポンサーしてきたDeluxeもサンフランシスコにありますね。

あぁ、そう、その通り。キースはサンフランシスコにルーツがありましたね。キースは”高いビルに囲まれて育った”生粋のシティーボーイでした。そして新しいスタートを切るのは良い気分でした。私たちはどこにお店をオープンするか街を散策し、そうすることによって新しい楽しみを見つけていきました。私たちはボーンズというチワワを飼いはじめ、お金を貯めてサンフランシスコのSOMAエリアに小さなロフトを購入しました。今思えば残しておけば良かった(笑)。

常に勝ち続ける事はできませんね。

そうですね。私たちはもう大人みたいでしょう? 結婚して犬を飼い始め、家を購入したのはたしか28歳くらいだったと思います。私たちはSupremeがどのように成長してきたかを見てきました。LAのKBondや、Unionをオープンしたエディー・クルーズがやってきたことも見てきて、「私たちもあんなことができるんじゃない?」と言ってサンフランシスコの空き物件を探しはじめたんです。そして808 サターストリートの前を通りかかった時、一件の靴屋を見つけました。立ち止まって、「ここ良いんじゃない?もし空いてれば」と言い店の前に座り眺めていたのですが、私は唐突にお店の中に入り、「このスペース借りられませんか?」と聞いたんです(笑)。さらに、「閉店の予定ないですかね?お店出したいんですけど」って。失礼な話ですよね!でも実はそのお店、閉店予定だったんです。ワオ!

聞くだけはタダですもんね。

それから一ヶ月もしないうちに契約が決まったと思います。それが2002年の4月で、8月にはお店をオープンしました。キースと私2人でなんとかしようとしていました。

あなたのメンター(良き指導者)は誰ですか?

Deluxeのジム・チボーから激励やアドバイスをもらったり、Stüssyのフランク・シナトラやUndefeatedのエディー・クルーズが法律やファイナンス、会社の体制に関するあらゆる質問に何時間も付き合ってくれていなかったら、キースと私はここまで到達する事はできなかったと思います。彼らは私たちがまだ駆け出しの頃、本当に貴重なアドバイスをしてくれました。

具体的なアドバイスで印象に残っている事はありますか?

私がHUFを辞める前くらいの時期、HUFは既に大きくなっていて、私たち経営者にとってはさまざまな問題や困難が付き纏っていました。いつも楽しいことばかりではありませんでした。不安でたまらずジム・チボーに電話したところ、「いつか他のことをやりたいと思ったら、やっていいんだよ。その後全然違うことをしてもいいんだよ。そしてもし別のことをやる機会を見つけたら迷わなくていいんだよ」と言ってくれて、私は衝撃を受けました。彼は自分がしたいことが何なのか考える機会を私に与えてくれたのです。私のキャリアは常に「HUFにとってのベストは何か?」ということばかり考えていましたが、彼は自分のことを優先しても良いんだということを教えてくれました。

あなたのHUFに対する深い愛情は、キースと共に築き上げてきたアイデアへの忠誠心からですか?

キースと私は互いにとても忠実で、どちらも相手を見捨てようとはしませんでした。でも、その揺れ動く困難な道のりを前向きに進んでこれたのは、私たちのために働いてくれる忠実で熱心な素晴らしい仲間たちでした。彼らは私たちと働くために大きなチャンスを諦め、少ない給料でも慣れない都市に引越してまで働いてくれました。彼らは私たちを頼りにしてくれていました。倒産の危機や訴訟などの深刻な問題に直面していた時でも、私たちは彼らを見捨てる事はできませんでした。私たちのために多大な犠牲を払ってくれた人たちのことを思うと夜も眠れませんでした。何事にも解決策はあるのに、彼らに向かって「失敗した」なんて言えませんでした。大きなプレッシャーでした。誰も私に大企業を経営するノウハウは教えてくれませんでした。大変な時代もありましたが、私たちはそれを乗り越えてきました。

実際にお店をオープンするまでの裏話を聞かせてください。

私たちは2人の貯金を合わせて$30,000持っていました。兄のソファーで寝泊まりしたおかげで、これらのお金を全てビジネスに注ぎ込むことができました。このお金は私たちの生活費から工面したもので、その中で内装費に$12,000くらいかかったと思います。この金額で収まったのは内装を手がけてくれたグレッグ・ノイハウスとクリス・ナルドンのクリエイティビティのおかげです。私たちは全財産を自分たちのアイデアにつぎ込んだのですが、その話を人にすると「えっ、なに?スニーカーとスケートボードとアート本のお店?」と言われてしまい、「待って、誰も来なかったらどうする?」と怖くなってきました。そしてオープンの数日前ピザを買ってきて遅くまでお店に商品を並べていると、誰かがドアをノックしてきたんです。まだお店のサインもなければ宣伝もしておらず、まだインターネットも普及していない時代だったので情報も出回っているはずもなく、夜の11時過ぎにテンダーロイン地区でドアを開けるのは、ちょっと怖かったんです。ドアの外に何がいるか分からないので(笑)。ドアに近づいて隙間から覗くとそこには3人の日本人が立っていて、小さな雑誌を指差していたのです。日本語で書かれた雑誌を見せてきて、「ここ、HUFですか?」って聞いてきたので、「うわ、まだオープンもしてないのに、誰かがこのお店のこと記事にしてる!」と思いました。なので私は、「はい、そうです!」と答えました。そしてオープン初日の朝、興奮という言葉では言い表せないくらいのテンションで、「よし、今日は私たちの晴れ舞台だ!」と実感しました。当時はサウサリートに住んでいたので、車でゴールデンゲートブリッジを渡り、サターストリートを下っていくと、そこには前日からキャンプしていた人たちがいてすごい行列ができていました。そしてその行列はうちの店に来てくれたお客さんたちだと気付きました。駐車場に車を停め店に到着してちょっと緊張しながらもキーを回して中に入り、その瞬間からHUFの歴史がはじまりました。

特別な体験ですね。

そういえば、寒い中夜を過ごして待っていた人たちに申し訳ないと思い、オレンジジュースとドーナツとカプチーノを買いスニーカーヘッズたちに配ったんです。当時はまだ彼らがスニーカーヘッズと呼ばれていることすら知らなかったのですが、彼らは、「えっ、これ何?」と聞いてきたので、私は「来てくれてありがとう。寒いでしょう。朝ごはんだよ」って。Supremeっぽくなかったかな(笑)。

すごいですね。

そうですね。もう一度あの日を体験できるなら何だってしますよ。

キースという人物について教えてください。

思いやりがあり優しくて、頼もしくとても陽気な人です。一生に一度の友人です。彼は非凡な人でしたが、同時に普通の人でもありました。彼はみんなと同じように疑いや恐れを抱いていました。何事かを成し遂げようとする誰しもが経験する挑戦や学びを彼も経験したのです。その点では、彼は特別な存在ではなかったのです。彼の仕事に対する意欲は比類ないものでした。どんなに困難なことでも、どんなに平凡なことでも、やり遂げなければならない事は決して避けることなく、愚痴をこぼすこともほとんどありませんでした。彼はよく微笑み、よく笑っていました。そしてそれは周りのみんなをも笑顔にさせていました。何かを創りたい、何か大きなことを成し遂げたいと考えている人は、彼のストーリーから何かを感じ取ってもらえたらと思います。やりたいことがあるのなら、まず片足から前に出して、前に進み続けてください。キースも私たちと同じ一人の人間でした。ただ、彼は私たちより早くこの世を去ってしまいました。だから彼は時間を無駄にする事はなかったのでしょう。


Tell me how you and Keith met.


Well, Keith grew up in Manhattan on 23rd and 1st. I grew up in a town outside of Yosemite National Park, with 600 people, no stoplights, and our phone numbers were four digits. We were from opposite worlds. But, I went to college in San Diego, in the early 90s, and that coincided with a big boom in skateboarding. Very early into my time there, I met Damon Way and Ken Block, when they hadn't even started Droors yet. Their t-shirt company was called Eightball, and I would roller skate around the boardwalk, and pass out flyers for them. I hung out at Pacific Drive skate shop a lot, and through that, I got a job as the secretary of a silk screening factory. All these surfers and skateboarder pros would come in and they had started their own clothing companies, and I was like, ‘Oh, this is entrepreneurship and it’s cool. These people look like they're having a really great time.’

My roommate at the time was Sal Barbier. I remember going to college, and working hard so that I could make a nice life for myself, and this dude's surfing and skating all the time, sleeping in, and going out all night. I remember his Etnies “23” shoe had just come out at the time and he left a residual check on the counter for $17,000. I've never seen money like that in my life. It was like my roommate had just made $17 billion to my 19-year-old mind. Then Damon and Ken started Droors. I was good friends with them at that point and watching the trajectory of their growth was insane. I started to understand that more than being just a sport, skateboarding was a viable business. It also made me think that maybe there was a place that I could fit in because I didn't skateboard, but I loved it. I could watch it all day. Back then, I never saw girls on a skateboard so it would never have occurred to me that actually skateboarding was the place for me. But I was seeing business opportunities and thinking maybe I'll work in that realm. Then I got sick of San Diego and I really wanted to move to New York. I just wanted to live in New York at least one time in my life. I still hadn't figured out a job, but I just picked up and moved. I knew Keith through skateboarding and we were just pals. I called Keith, and I was like, ‘Hey, I’m moving to New York, we should hang out.’ You know, I was just trying to reach out to anybody I might have a connection with. And he was like, ‘Okay, I'll hang out with you. But not every day’ [laughs].

That’s funny.

Famous last words, dude! I didn't think much of it, because there was no romantic connection at that point. The day I got there was one of the best days of my life. I took a red eye, and took a taxi to [Jones and Chris] Keeffe’s house in Queens, back when they still lived at home with their parents. I was bleary-eyed and exhausted, and they're like, ‘Get up Frizz!” – they called me Frizz – and they go, ‘You can't take a nap, we're going into the city!’ We got on the 7 train and we met up with Keith. The Yankees had just won a championship, and there was a tickertape parade.

What a day to arrive.

We came up from the subway and there were a million extra people in Manhattan. Not exaggerating. And the tapes flying down, the Yankees go by, everybody's in their Yankees gear, and Keith was standing on… I don't know what he was standing on, but something very high so he could look around. We saw him and he smiled. Then we spent the day just running around downtown Manhattan and then made our way up to Supreme. I think Supreme was like a year old at this point. Clearly not what it is today. It was a hangout where you could throw down your backpack and use the bathroom. So, we threw our backpacks in there and used the bathroom and then we went and got a slice at Ray’s Pizza on Prince street. I couldn't believe how delicious the pizza was. It completely blew my face off because I'd been eating Mission Beach pizza that they dipped in ranch. I was like: I have arrived. I am in New York. This is it. I'm never leaving. And I also think by the end of that day, it was pretty clear there was a spark between us that had never been there before. I'd actually set Keith up on dates with girlfriends of mine and I was like, ‘If you were smart, you would go for this guy. He's so kind, he's the best.’ It never occurred to me if I was smart, maybe I would do that [laughs]. It was a special day.

Where did you and Keith go from there?

Much to his chagrin, Keith and I wound up hanging out every day around the clock, just having an absolute blast [laughs]. At that point, he did a lot of traveling, and I would jump on a plane and go meet him. When you're young—for the most part— people are broke. I certainly was. And these companies would rent houses in different places, and Keith would call and be like, ‘I'm in Sydney, and there's a free room. Just come, you know?’ So that's how I got to see the planet. I really got a global view of how special skateboarding was and how creative, energetic, exciting, and successful some of these companies were. At the time, Keith was worried about what he was going to do when he was 30–I think that was every skateboarder’s fear back then because you weren't seeing the longevity in careers that people have today. So we started talking a lot, trying to figure something out. It was all very vague at first. But, one thing we had on our hands, which was something that money can't buy, was the way people reacted to him when he walked into a room. Everyone paid attention. I know he noticed but he carried it humbly, and he never took advantage of it. He never let it go to his head. He would shake hands and pay attention to anybody that was trying to get his attention. Not only is that an incredible quality in a human being, but now my business mind is turning, and I'm thinking about how this is the perfect frontman for a brand. We would visit every store when we were traveling to see what people were doing, and how it all worked. Not just in skateboarding, but in any type of retail. So that was the beginning. We knew we were going to do something, but we still didn't know what it was gonna be.

What were some of the discarded ideas?

A board company, but that was too expensive and too daunting. We considered a high-end women's boutique, because I had managed one in Los Angeles and it was an explosive business. We looked at that for a while. We also wanted to do clothing, but that seemed really daunting. Then we left New York for Los Angeles and Keenan [Milton] died and it turned our world upside down. We had just gotten married and we’d had this explosive of fun and traveling, being young and wild. Just wild joy. We got married on March 24th, 2001 and some of the most incredible footage that we have is from Keenan at our wedding, picking Keith up and dancing Keith all around the dance floor. And that was the last of innocence. Keenan died July 4th of that year, and then September 11 happened. I don't think that Keith and I knew that life could be like that. We’d been having such a great time and then we were just annihilated. It’s strange to look back now because I'll be 50 this year and life hands you these clumps of experiences for you to walk through. But when it happens to you the first time, you don't have the tools to stand back up. And so we did the only thing that I ever knew how to do when things get hard. I was like, ‘Let's move. Let's just get outta here.’ And we thought, ‘Let's go to San Francisco.’ I don't even know why. I mean, my brother was there. We moved in with him, to save some money.

Deluxe [Keith’s longtime sponsor] was there.


Duh. Yeah, obvious. Great point. Keith had roots there. He was a real city boy, like “a city with tall buildings.” And it felt good to have a fresh start. We started looking around for where we might open something and it gave us something to look forward to. We got Bones [Keith and Anne’s beloved pet dog]. Then we saved up enough money to buy a little loft South of Market, which I wish I would've held onto [laughs].

You can’t win ‘em all.

Yeah. So we were like adults, right? We're married. We have a dog. We have our first place. I want to say we were both 28 years old. We had seen what was going on with Supreme. We had seen KBond in Los Angeles, we had seen Eddie Cruz who had opened up Union, and we were like, ‘Maybe we could do something like that.’ We started looking around, and we drove by 808 Sutter and there was a shoe store there. We stopped and were like, ‘That would be cool, if only it was empty.’ We sat outside and stared at it for a long time and then I just went in and asked them if we could rent it [laughs]. I was like, ‘Are you ever going out of business? Cause I would like to put a business here.’ Rude! It turned out that they were [going out of business]! Wow!

It doesn't hurt to ask.

I think within a month we had a lease deal. That was in April 2002 and we opened up in August. Just me and Keith, trying to figure it out.

Who were your mentors?

I don't think Keith and I ever would have gotten to where we got without the encouragement and advice of Jim Thiebaud at Deluxe or the endless hours answering any legal, technical, financial, or structural question from Frank Sinatra, who owns Stüssy or Eddie Cruz, who owns Undefeated. Those people were real standouts for me in the early days of being green.

Do you remember any specific advice that blew you away?

Towards the end of my days at HUF, after it had become a massive business, it was riddled with a lot of problems and difficulties for us as business owners. It wasn't always fun. I remember calling Jim Thiebaud with so much anxiety and he tells me ‘It's okay if someday you decide you want to go do something else. It’s okay to have a totally different experience after this. And if you have a chance to get out, it'll be okay.’ That blew my mind. He gave me permission to think about what I wanted. My entire career was like, ‘What's best for HUF?’ and he told me it was okay to take care of myself.

Was your devotion out of loyalty to this idea that you and Keith had created together?

Keith and I were fiercely loyal to one another and neither of us would've bailed on the other. But the thing that kept me dedicated on that rocky ride was the loyal, diehard, incredible human beings that came to work for us. They gave up great opportunities to come work for us for less money and even moved to cities they didn't wanna be in. They were depending on us. I couldn't fail them—even though we were facing bankruptcy and lawsuits and very serious problems. I couldn't sleep at night because every one of those people had made tremendous sacrifices for us. I couldn’t look at them and say, ‘We failed,’ When there’s a solution for everything. It was a lot of pressure. No one gave me the manual [on how to run a big company]. Those were heavy times, but we got through them.

Tell me the backstory of how you actually opened the shop.

We had $30,000 between the two of us. That's what we used for the whole business thanks to my brother's couch. It was our life savings. And of that, I think the build-out was $12,000. That was due to the creativity of Greg Neuhaus and Chris Nardone. We had put our entire life savings into an idea that when we told people about it, they would say ‘What? Huh? A store with specialty sneakers, skateboards, and art books?’ That’s when we got scared, and were like, ‘Wait, what if no one comes?’ A few nights before we opened we’d gotten pizza and we were getting the store merchandised, working late when there was a knock on the door. We didn't have any signage, no advertising, and no one was using the internet to share info at this point in time. I'm a little scared to open it in the Tenderloin at 11 at night, because anything could be at the door [laughs]. I peek out, and there are three Japanese guys, pointing to a little magazine. It's written in Japanese, and they're like, ‘This... HUF?’ and I'm like, ‘Holy... somebody already wrote about this store, and we’re not even open!’ We were like, ‘Yes! This is it!’ Then the morning we opened. Excitement's not even the word for, like, the buzzing of knowing ‘Okay, this is our big day!’ We were living in Sausalito at the time and we drove across the Golden Gate Bridge and came down Sutter, and we started seeing people that were camped out, like a crazy line. And we realized it's for us. We parked and walked up and we were kind of nervous, but we just turned the key and went in, and the rest is history.

Pretty special.

Oh, one thing I learned not to do is that I felt so bad that all those people that had spent the night in the cold, that I went down the corner and bought all this orange juice, donuts, and cappuccinos, and I went out and fed all the sneakerheads. I didn't even know that's what they were called yet! They were like, ‘What, what is this?’ I'm like, ‘Thank you for coming. You must be cold. Here's some breakfast.’ That wasn't really like a Supreme vibe [laughs].

Amazing.

Yeah. What I wouldn't give to live that one day again. Mmm.

Tell me about Keith the person.

Thoughtful, kind, dependable, hilarious. The kind of friend that comes along once in a lifetime. He was extraordinary but he was also just a regular person. He had the same doubts and fears as anyone. The same challenges, the same learning curves anyone would face trying to achieve what he did. In that regard, he was not special. His work ethic was unparalleled. He didn't avoid whatever it was that needed to get done no matter how difficult or mundane it might be. And he virtually never complained. He mostly smiled and mostly laughed. Both were contagious. I hope that anybody who is interested in creating something and doing something big with their life takes that away from his story. If you want to do it, just put one foot in front of the other and keep moving forward. He was just a person, like any of us, except the world had a plan for him to leave it early. Maybe that’s why he never wasted any time.

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