#15
HUF OG CREW
ブランドは何もしなくても20周年を迎えられるわけではない。多くのブランドオーナー達は、スプレッドシートの内容に基づいてチームを編成する。しかし、キースは違っていた。いつもまず仲間ありきで、それから全てをどうにかするというやり方であった。サンフランシスコの第一号店もそうであったように、HUFというブランドは、オーガニックな流れで、そしてより重要なこととして、友人関係を通して築き上げられてきた。ブランド創設初期からHUFを支え続けてきたHUF OGであるハニ・エル・カティブ、ナオタケ・ノガタ、キース・”スイーツ”・マレー、そしてロメオ・タンハルの4人がもたらした情熱と個性が、HUFを作り上げ、ブランドを前進させ続けていると言っても過言ではない。
ブランドの立ち上げから質問させていただきます。ナオ、ハニ、スイーツ、あなた達はHUFの初期メンバーですが、どのようにして出会ったのですか?
ナオ:友人のTが当時Stüssy SFの店長をしていて、キースもその時はStüssyのライダーだったので、キースが新しくお店をオープンするから、そこで働く人を探しているらしいという話をTから教えてもらったんだ。面接に行ったらアン・フリーマン (HUF共同創設者)に、「採用よ」と言われて、それくらい簡単に。ほんの10分くらいの面接だけだったんだ(笑)。働き始めたら、すごく気に入ってしまって。キースと一緒に働いていた人達がみんな家族みたいな関係だったんだ。当時はSupremeとか、俺が好きだったストリートブランドを全て取り扱っていたんだ。
ハニ:多分俺はその次かな。2003年くらいにお店の近くでつるんでた時に、タイラー(当時のHUFショップ店員)がキースを紹介してくれたんだ。タイラーが、「おい、キースと一緒にスケートしてこいよ」と言ってきたんだけど、当時俺はまだキースのことをよく知らなくて、でもキースが、「ボード持ってこいよ。一緒にプッシュしに行こうぜ」と誘ってくれて、それがきっかけで一緒にスケートするようになったんだ。それからはほぼ毎日のようにお店かストリートでハングアウトするようになって、それから間も無く、Tシャツやボードのグラフィックをデザインするのを手伝ってくれと頼まれたので、俺は、「もちろん!」と、まるで夢が叶ったかのようだったよ。そんなことを続けて一年くらいしたある日、キースから HUFのアパレルブランドを立ち上げたいから手伝って欲しいと言われ、フルタイムの仕事のオファーをくれたんだ。だから俺は、「俺の毎月の家賃払ってくれる(笑)?と返したんだ。それから間も無くして、俺とキースの友人達とでブランドを立ち上げることになったんだ。
スイーツ:俺は友人のメガ(元HUF社員、Black Scaleの創設者)の紹介でスタートしました。俺は当時、金融関係の仕事をしていて、毎日スーツを着てたよ(笑)。週末になると、逃げるように街に来ていたね。街でスケートしたり、スニーカーにハマっていて、正直中毒みたいになっていたね。最終的にはメガがHUFの仕事を紹介してくれたんだけど、お店で発売したNike SBは全部手に入れたよ。店のやつが全部取っておいてくれたんだ。毎日のようにお店に遊びに行っていたら、週末のシフトが空いたって聞いたので、「面接受けさせてよ」って頼んで、キースと面接をして、雇ってもらうことになったんだ。
ハニ:みんな仕事をもらったけど、全然フォーマルな感じじゃなかった。キースがスケートしに行った先で、「ヤバい、ヘルプが必要だ。手伝ってくれる?」と気付いて、俺たちはいつもお店でハングアウトしていたから、みんなファミリーみたいだったね。
ナオ:そうだね、みんなで出かけるときは、遅くまでハングアウトしていたね。みんなHUFを着て、足元はヤバいスニーカー履いて。みんなHUFクルーが来たって感じで見ていたね。
当時何がハマっていたのですか?創設初期のHUFの何がスペシャルだったのですか?
ハニ:キースがいたってことが大きいんじゃないかな。キースはスタイルとスケートボードが交差する最前線にいたんだ。そしてキースはストリートウエアとスニーカーのトレンドに注目するのも早かった。当時のHUFは、スケートボード、スニーカー、ストリートウエアを取り扱うセレクトショップだったんだ。当時のサンフランシスコにはそんなお店はまだ存在しなかったし、ストリートウエアのブームが始まった時には、HUFのお店は既にあったんだ。
ロメオ、あなたはそれから少し経ってからHUFのメンバーになったと聞きました。イースト・コーストから来たあなたから見た当時のHUFはどのような存在でしたか?
ロメオ:HUFを初めて知ったのは、DQMのお店だったね。当時、DQMでスニーカーやNew Era®を買っていたけど、ニューヨークの数々のブランドが並ぶ中で、HUFは目立っていたね。HUFは俺が見てきたブランドの中で、コラボレーションをしているのを見た最初のブランドだった。当時のHUFのデザインがとても気になっていたんだ。キースはイースト・コースト出身で、サンフランシスコを当時拠点にしていたから、他の多くのブランドのようにウエスト・コースト過ぎなくて丁度良い感じだった。そんなブランドはなかったからね。
ハニ:HUFで働いていた全員が、ブランドに対して異なった視点を持っていた。”ベイ・エリア” にフォーカスしたもっとニッチなブランドにすることもできたが、俺たち自身が興味を持っていることがもっとグローバルなものだったんだ。俺達は、あらゆるところからインスピレーションを得ていました。そして、HUFにはブランドの顔であるキースの存在があった。キースがニューヨーク出身なので、俺がニューヨークの要素を取り入れたデザインをした時、キースのフィルターを通すことで、偽物と思われずに受け入れられることができたんだ。
ロミオ:そうだね、あとDQMで取り扱われていたということも受け入れられた理由の一つだと思うよ。多くのウエスト・コースト出身のブランドは、DQMのセレクションにフィットしなかったからね。俺もHUFのNew Era®をベイ・エリアのブランドだっていう事を考えないで被っていたしね。ただ単にクールだったんだ。
スイーツ:New Era®がヤバいくらい売れていた頃のことはよく覚えているよ。1型で3,4色リリースすると、7時間待ちの行列ができたりしていたんだ。全色買っている人もいたね。まるでスニーカーの発売日みたいだったけど、New Era®目当てで列ができていたんだ(笑)。HUFはNew Era®のトレンドを作った最初のブランドの一つだったね。
当時のサンフランシスコで、HUFの存在感はどんな感じだったのですか?
ハニ:ナオが言っていたように、俺達は夜遅くまでハングアウトしていたんだ。閉店前に店に集まり、みんなで夕食を食べに行き、その後は友達がプロモーターをしているクラブに行ったり、イベントをスポンサーするようになったりして。多分20人くらいがお店で働いていたかな。その20人がそれぞれ20人くらいの友達がいて、20人 x 20人くらい。そんな感じで連んでいたね。仕事の後にトール缶片手にハイド・ストリートの坂をボムして、図書館でスケートして、その後遅めのディナーを食べて、またパーティーに繰り出すんだ。時には午前2時くらいにまた店に戻ってきたりして。当時のお店の向かいにバーがあって、”Lurk Or Die”っていうマンスリー・パーティーもやっていたね。昔のスケートビデオを流したりしてたんだけど、デザインに夢中だった俺達は、バーで新しいアイデアを思いついて、忘れないように午前2時頃にまた店に戻りデザインしようとしたこともあったね。でも次の日のお昼頃にまた店に行って、デザインを見返して、「何やってたんだ?」みたいな感じになってた(笑)。
それから20年が経ち、ブランドの何が変わって、何が変わらずに残っていますか?
スイーツ:俺達はブランドとして、自分達が誰なのかを忠実に守ってきたと思う。それが自分が辞めなかった理由の一つだね。自分がHUFで働き始めて、もう少しで18年が経ちます。ブランドのコアとなる部分を失っていないので、HUFで働き続けているんだよ。HUFは常にそのブランドを貫いてきたね。
ハニ:俺は常に、何か新しいことにもし挑戦したいのであれば、このブランドにはそのチャンスがあり、それがクールであれば実現させられる可能性があると言い続けている。また、紹介したいアーティストや、一緒に仕事をしたいアーティストがいるのであれば、それを実現できる可能性もある。そんな機会は最近ではなかなかないことだね。HUFは、バーでナプキンに落書きして、次の日に職場に持っていけば、そのアイデアを実現することが出来る場所なんだ(笑)。ワイルドだろ?
20周年というのは、どのブランドでもそう簡単には成し遂げることができない大切な節目です。HUFが20周年を迎えるということは、ブランドにとってどのような意味がありますか?
ロメオ:キースが最初のお店に注いでいたのと同じエネルギーと意思をキープしてくことだね。クールな人達を集めること。旅で得た情報や経験を集め、世界中の全ての人を魅了する素晴らしい商品を作ること。今ではとても大きなブランドになりましたが、昔と同じくファミリーのようなエネルギーを持ち続けたいと思っているね。
ハニ:20年も続いているという事実は、我々が何かしら正しいことをしているという証明をしていると思うけど、進化するということがカギだと思う。HUFは、業界やカルチャー、それが何であれ、あらゆる変化の中で進化し続けて来れたと思うしね。クリエイティブな視点を持ち、自分のやっていることの背後にある本当の意図が損なわれていないことを確認しながら、向き合っていかなければならない。次のチャプターへ進む時、このクレイジーな世界でどのようにして持続していくのか?その唯一の方法は、ブランドの本来の意図に忠実であることだと思う。俺は哲学的なレベルから、何度も後ろを振り返り考えるんだ。何のためにHUFをスタートさせたのか?なぜそれは作られたのか?それをよく考えると、自ずと見えてくるものがある。心の中で正しいと思うことをすれば、それが次のチャプターへの道標になるからね。
スイーツ:俺達はブランドと共に、そしてリーダーとして成長してきた。適切な人材を確保しつつ、適切な方法で引っ張っていかなければならない。そうすることで、ブランドがあと20年、40年と続いていくように、引き継ぐことができるようにしていかなければなりません。
以上になります。何か最後に一言ありますか?
ナオ:Fuck it(笑)
A brand doesn’t get to 20 years on its own. A lot of brand owners assemble a squad based on what the spreadsheets say. Not Keith. It’s was always friends first, then you figure it all out. Like the original SF shop, HUF the brand came together organically and more importantly, through friendships. Hanni El Khatib, Naotake Nogata, Keith “Sweets” Murray, and Romeo Tanghal, brought their passion and personality to the mix that created HUF and continue to push the brand forward.
Ben: We're gonna start at the beginning. Nao, Hanni, Sweets, you were all there at the beginning of HUF. How did you all meet?
Nao: Our friend T was the manager of the Stüssy store in SF. Keith Hufnagel was also riding for Stüssy at that time. I heard from T that Keith was opening a new store and he was looking for someone to work there. I went in for an interview and Anne Freeman, [HUF co-founder] said, “you’re hired.” It was that easy. It was like a 10-minute interview [laughs]. Once I started working there, I fell in love with it. Keith and the people there were like family. They carried Supreme and all the streetwear brands I loved.
Hanni: I probably came in next. I was hanging around the shop, like 2003-ish. Tyler [HUF shop employee] eventually introduced me to Keith. He was like, “Yo, you should go skate with Keith.” I didn't even really know Keith that well, but Keith was like, “Grab your board. We’ll go push around.” And we just started skating together. After that we started hanging out like everyday, either at the shop or in the city. Shortly after he asked me to help him design some t-shirt graphics, boards, and other stuff. I was like, ‘Oh, hell yeah.’ It was a dream come true. We did that for about a year and then he told me he wanted to turn HUF into its own apparel brand. He asked me to help him and offered me a full-time job. And I was like, “Could you pay my rent every month [laughs]?” That quickly turned into me and all of Keith’s friends working on the brand.
Sweets: I came in through my friend Mega [former HUF employee and founder of Black Scale brand]. I was working in finance before. I was in a suit every day [laughs]. I would come into the city on the weekends to escape. I would skate the city and I was crazy into sneakers, like super addicted. Mega ended up getting a job at HUF and I would go in there and get all the upcoming Nike SBs. They would just hold them all for me. I would hang out there so much, eventually a weekend shift came open and I was like, ‘Please let me interview.’ I interviewed with Keith and he just gave me the job.
Hanni: We all got jobs there, but it was never formal. Keith was just out skating, and realized, “Oh shit, I need help. Will you guys do that?” We were all hanging out there all the time. It was like family.
Nao: Yeah, when we all go out anywhere, we were rolling deep. All rocking HUF with the nice sneakers. People would see us come through. The HUF crew.
What clicked back then? What about HUF was so special in the early days?
Hanni: Keith had a lot to do with it. He was at the forefront of where style and skateboarding intersected. And he was super early on the streetwear and sneaker trend. It was a skate shop, sneaker, and streetwear store. In San Francisco that didn’t really exist. So when streetwear popped off, HUF was already around.
Romeo, you came into the mix later. Coming from the East Coast, what was your perception of HUF in those early days?
Romeo: The first exposure I had to HUF, was at the DQM store. Shopping there, the sneakers, the New Eras®. HUF was the brand that stood out, amongst all the other New York brands. HUF was one of the first brands that I saw doing collabs. The designs that these guys were doing really spoke to me. It wasn’t so West Coast as some other brands. Keith was from the East Coast but based in SF. There wasn’t anything else like that out there.
Hanni: All of us that worked there had a different perspective on the brand. We knew we could go super niche “Bay Area” with the brand, but our personal interests are actually more global. We were pulling inspiration from everywhere. And then you have Keith—the face of the brand— being from New York, so anytime I had an excuse to flex a New York design, you could run it through the filter of Keith. It’s not phony, it’s going through the lens of Keith.
Romeo: Yeah and being in DQM gave you that pass. A lot of the other West Coast brands wouldn’t fit in with the selection. I was wearing HUF New Eras® on the East Coast not even thinking it was Bay Area thing. It was just cool.
Sweets: I remember when we were putting out the New Eras®, it was insane. We would put out one style with three or four different colors and we would have a line for like seven hours. People would buy every color. It was like a sneaker drop, but for hats [laughs]. HUF was one of the first brands to start that trend.
Could you feel the HUF presence in SF back in the day? What was that like?
Hanni: As Nao said, we would roll deep. We’d all congregate at the shop before it closed and then all go get dinner. From there we’d go to whatever club, where our friends were promoters, and then we started sponsoring events and it just became a thing. There were probably like 20 store employees at some point. Those 20 people had 20 friends of their own. So, 20 times 20 people. That’s how we’d roll. After work, we’d bomb down Hyde street with a tall can, skate the library, and then from the library, get a late dinner, and then go party. Sometimes we’d end up back in the store at like 2 am. There was a bar across the street where we had a monthly party at. It was called “Lurk Or Die.” We’d play old skate videos but we were still so obsessed with designing, and we’d be at the bar coming up with new ideas. So we would have an idea and go back to the store and try to design it at 2am. Then the next day roll it at noon and see what the hell you were working on [laughs].
So fast forwarding 20 years, what has changed for the brand, and what has remained the same?
Sweets: I think we’ve kept true to who we are as a brand. That’s one reason why I’ve never left. It’s been almost 18 years. I’ve stayed because of the brand has never lost its core. It’s always been true to what it is.
Hanni: I always say if you want to try something new, chances are at this brand, if it's cool enough, you'll have an opportunity to make it. Or if you have an artist that you want to introduce or work with, odds are, that'll happen. That is a rare thing these days. This is one of those places where you could scribble something on a bar napkin and then go into work the next day and it’s getting made [laughs]. That's kind of wild thing, right?
20 years for any brand is a milestone. What does it mean for HUF now that it's been around for 20 years?
Romeo: It’s keeping that same energy and intent that Keith had with the first shop. Bringing cool people together. Bringing all his travels together and making a great assortment of product that appeals to everyone worldwide. We’re so much bigger now, but we still want to have that same family energy.
Hanni: The fact that we’ve been around for 20 years, shows you we’re doing something right, but evolution is key. HUF has been able to evolve and maneuver through all the changes in the industry, culture, or whatever it is. You have to be diligent with your creative perspective and make sure your true intent behind what you’re doing is still intact. As you move into the next chapter, how do you sustain in this crazy world? The only way to do that is to be true to what the original intent of the brand is. I look backward a lot from a philosophical level. What was the point of starting HUF? Why was it created? When you start to break that down, it comes easy. If we do what we feel in our hearts is the right thing, then that’ll guide us to the next chapter.
Sweets: We’ve grown with the brand and as leaders. We need to make sure we have the right people here but also guide them the right way. Eventually being able to pass that on so the brand can last another 20 or 40 years.
That’s it right there. Any last words?
Nao: Fuck it [laughs].